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今までは意識現象としての「いき」を考察してきた。今度は客観的表現の形を取った「いき」を、理解さるべき存在様態と見てゆかねばならぬ。意味としての「いき」の把握はあくは、後者を前者の上に基礎附け、同時に全体の構造を会得する可能性に懸かかっている。さて「いき」の客観的表現は、自然形式としての表現、すなわち自然的表現と、芸術形式としての表現、すなわち芸術的表現との二つに区別することができる。この両表現形式がはたして截然せつぜんたる区別を許すかの問題{1}、すなわち自然形式とは畢竟ひっきょう芸術形式にほかならないのではないかという問題は極めて興味ある問題であるが、今はその問題には触れずに、単に便宜上、通俗の考え方に従って自然形式と芸術形式との二つに分けてみる。まず自然形式としての表現について考えてみよう。自然形式といえば、いわゆる「象徴的感情移入」の形で自然界に自然象徴を見る場合、たとえば柳や小雨を「いき」と感ずるごとき場合をも意味し得るが、ここでは特に「本来的感情移入」の範囲に属する身体的発表を自然形式と考えておく。
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